第8回 音学歴のお話(前編)

どうも、佐藤 豪です。7回にわたってお届けしてきたセイブ開発在職時のお話も一段落したので、今回からは毎回テーマを決めてお話ししていきたいと思います。第8回目の今回は、自分の音楽歴について。

そもそも音楽を好きになったのは、音楽好きの母親の影響を完全に受けていましたね。周りのサウンドクリエイターの話を聞いても、だいたいが親の影響による人が多いみたいで、わかるような気がします。幼少のころは、家のなかで年中何らかしらの音楽が流れていて、母はアコースティックギターを弾くんだけど、よく母の演奏を観ていたりもしたものです。

人は成長していくとともにいろんな音楽と出会い、影響を受けていくもの。よく「ビートルズやエリッククラプトンの影響を受けた」というような話を聞くことは多いのだけれど、たぶん自分と同じような人はいないだろうな……。そんな自分の変わった音楽歴のエピソードをお楽しみください(笑)。

初めてはピンクレディー!

生まれて初めて好きになった音楽は、幼稚園児の頃に聴いたピンクレディーの「ウォンテッド」で、初めて買ってもらったレコードでもあります。何がよくて好きだったかわからないけど、いま考えみると、きっとあのビートがいいと思ったんじゃないだろうか。

ある日、幼稚園で好きな音楽を教え合いましょう、みたいな授業?があって「ウォンテッド」のレコードを持って行ったんだけど、肌の露出の多いジャケット写真を見て、クラスの子たちが寄ってたかって「エロいw! エロいwww!」って騒ぎはじめた(笑)。そんな本質じゃない部分でなんか盛り上がらせてしまい、幼稚園児ながらに「なんなんだ、こいつら!?」って動揺したことを覚えている(笑)。

おつぎは小学3年生のころの話。クラスの子たちはテレビの音楽番組「ザ・ベストテン」を見て、つぎの日に松田聖子や近藤真彦なんかの話で盛り上がる感じだった。自分はもともと興味がなかったんだけど、話について行くためになんとなく見はじめているうち、しだいに好きな音楽やアーティストも出てくるようになった。

自分が好きになったのは聖子でもマッチでもなく、寺尾 聰! 「ルビーの指輪」にほれこんでしまいました(渋い、渋すぎるぞ昔の俺)。いまどきの小学3年生が寺尾 聰のようなジャンルを聴いてたりしたら、ちょっと意外に思ってしまうだろうなぁ。

小学生高学年になると、母親が集めていたヨーロッパ映画のサントラや洋楽を自発的に聴くようになった。「白い恋人達」、「太陽がいっぱい」などの映画音楽や「マルタ島の砂」とかが好きだったな。そしてある日、たまたまテレビの手品の番組で流れていたポール・モーリアの「オリーブの首飾り」に一目惚れして、ポール・モーリアに大ハマリすることに。

今でもシングルレコードを地元のレコード店に買いに行った当時のことを鮮明に覚えているけど、ポール・モーリアのレコードを買いに行った小学生というのもこれまた渋い(笑)。ちなみに人生で初めて自分で買いに行ったレコードでもあった。

ほかにはポールと同じイージーリスニング界の巨匠、レイモン・ルフェーブルという人のレコードを母親がたくさん持っていたので、それもかなり聴き込んだ。彼らのアレンジはストリングスの旋律が美しく、とても大衆にもわかりやすくて素晴らしい音楽だった。

ポール・モーリアは、生前よく来日もしていたみたいで、ご健在だったときに一度くらい聴きにいけばよかったと後悔しています。もう亡くなってしまった方の生演奏は二度と聴けない訳で。なんか書いていたら、久しぶりに聴きたくなってきたな。ちなみに、『雷電II』のメロディは、まちがいなくこのあたりの曲に影響されていると思っています。

また、このころになると同時にゲームミュージックにも興味が出てきていて、『ラリーX』や『マッピー』の音楽を好きになったり。でも、当時サントラなんてなかったから、ただゲームをプレイしてるときに聴くしかなかったんだけどね。よくリコーダーや教室のオルガンで覚えているメロディを演奏して、クラスの子たちに「スゲー!」「教えてくれ!」とか言われていたりとかもしたなぁ。

ちなみに当時は一般的に「ゲーム=悪」という認識がなされている全盛期で、ゲームセンターに先生やPTAが乗りこんできたり、駄菓子屋のゲームで遊んでるところをクラスの子に見られて、後日先生にチクられてよく怒られたりしたものだ。今考えてみればおかしな時代だったな。

ゲームミュージックに熱中した中学生時代

中学生になると、ブームとなったおニャン子クラブには目もくれず、ゲームミュージック一辺倒となる。なので、この頃のエピソードが一番多いです。自分が中学生の頃はグラディウスや沙羅曼蛇が発売された時期だったんだけど、これらのBGMに衝撃を受けた人も多かったんじゃないかな。

自分もこのBGMに感銘を受け、どうしてもゲーセン以外で曲を楽しみたくて、録音機能のついたウォークマンを持ってゲーセンへ。地元のゲーセンの店員と仲良くなって、閉店してお客さんがいなくなってから、録音したいゲームだけに電源を入れて録音させてもらっていた(このゲーセンは19時に閉店だったのだが、今思えば健全すぎる)。そうして、効果音のまじったゲーム音楽を楽しんだ。

そんなある日、すごい出来事が起こる。あれは後楽園に遊びに行ったときのこと(確かボーリングをやりに行った)。当時、後楽園には巨大なゲームコーナーがあって、まだ発売されて間もないスペースハリアーがあったので早速プレイ。しかし、そのうちバグってゲームが止まってしまった。ムービング筐体なので、すごく傾いた状態で……。

一緒にいた友達が「店員呼んでくるよ!」って言ったんだけど、とっさに「いや、ちょっと待って!」と止めにかかる。よく見れば、確かにゲームはフリーズして止まってしまっているんだけど、なんとBGMだけが鳴りつづけているではないか! そして録音機能がついたウォークマンを今、持っている! まだサントラが発売されてない当時、ゲーム音楽を録音する者にとって、効果音が入らない生BGMは何よりのあこがれ。今思えばサウンドテストが付いているゲームもあったのかもしれないけど、当時はそういったことも知らなくて。

このときウォークマンに入れていたカセットテープには、お気に入りのさまざまな音楽が入っていて、誤って録音してしまわないように爪を折っていた(カセットやビデオテープを知らない世代にはわからないかな?)。それを録音防止の穴にティッシュペーパーを詰めて録音可能な状態にし、友達にしゃべらないよう釘をさして録音を開始! 友達はゲームに関心のない人だったので、あとで「恥ずかしかった」とか「お前はおかしな奴だ」とか言われたけど……。

順調に録音していると、あることに気が付いた。『スペースハリアー』はビンズビーンステージというのが全ステージ中に何度かあって、そこでは背景が変わり、BGMの雰囲気も変わるので、それまではてっきり通常BGMとはちがう曲なんだと思っていた。でも、じつは曲はつながっていたのだ。「そっかぁ、これって通常BGMの一部だったんだ……」と、録音しながらも感動が止まらなかった。

そして、ここでループしたな、と思えるところまできたので録音停止。すかさず、すぐにテープを巻き戻して再生して確認。当然、効果音は一切ない。さらに、この頃には周囲の雑音が入らないように録音する術を編み出していたので、雑音もほぼゼロに近いレベルで究極の音源が完成したのであった。感無量である。

後日、学校の仲間に聴かせると、それはもう大絶賛でした。ビンズビーンステージの件も同じく皆おどろいていた。その後『スペースハリアー』のサントラが正式に出ることになるのだが、それまで、そのカセットテープはずっと宝物でした。いや、サントラが出たあとも宝物だったのかも。残念ながらもう現存してないけどね。

ちなみに、周囲の雑音が入らない術とは、録音機を可能な限りスピーカーに近づけ、ゲーセンにかならずある、灰皿で録音機を覆う、というだけのことなんだけどね(笑)。しょせん、中学生の考えたことではあるけど、それでも効果抜群だったし、録音技術の理にかなってはいるかも。知識のある今だったら、さらに灰皿をハンカチやマフラーで覆うかな。あ、そもそも灰皿じゃなくてもいいと思う(笑)。

録音エピソードをもうひとつ。音楽の授業で、あなたの好きな音楽をみんなで聴きましょうって授業があって、クラスメイトは当時流行ってたおニャン子クラブ や、ちょっとセンスがいい子は洋楽のA-ha、映画サントラの「戦場のメリークリスマス」とかを紹介してたんだけど、俺は自主録音した効果音混じりのジャ レコ『シティコネクション』の曲を持参し、皆に聴かせました(笑)。クラスメイト騒然、先生唖然(笑)。先生にならわかってもらえると思って、「これ、 チャイコフスキーのアレンジなんですよ(キリッ」って言ってみたけど先生、華麗にスルー。ひとりひとり、先生から感想などコメントもらうんだけど、そのと きも完全に困っていたっけ。

パソコンを覚えれば将来役に立つから!

中学時代は、親をあの手この手で口説いてシャープのパソコン「MZ-2500」を買ってもらい、MML(BASICというプログラム言語のサウンド制御部分の呼称)で耳コピしながら、好きなゲームミュージックを真似るようになっていた。父親は買ってくれながらも「高いおもちゃだ、なんの役に立つんだ」って言っていたけど、これが自分の人生を確定させるひとつの大きなきっかけになったわけだし、本当に親には感謝。そして、口説き文句の「パソコン覚えれば将来役に立つから!」は嘘にならなくてよかった(笑)。

このころ、ほぼ同時期に愛読誌「マイコンBASICマガジン」でもゲームミュージックのコーナーの連載が始まる。読者がMMLを使ってゲームミュージックのデータを投稿し、採用されると紙面に掲載されるといったものなんだけど、さっそく『シティコネクション』1面の曲データを作って投稿したら、なんと! ゲームミュージックを特集した別冊に掲載されたんです! 最近知ったんだけど、この別冊には現在活躍されている他のサウンドクリエイターの何人かも投稿・掲載されていたようで、みんな通る道は同じなんだなと驚いています。

話変わって、中学時代最後のエピソード。中学時代は、ちょっとしたきっかけでドラムの演奏に興味を持つようにもなっていた。学校の音楽室には、楽器を保管する準備室が併設してあり、そこにドラムが置いてあったので、先生に頼みこんで、音楽の授業が始まる前の休み時間だけ触らせてもらえるようになった。

叩きかたもまったくわからなかったけれど、テレビの音楽番組とかで研究して、なんとなく基本的なことはわかったので、夢中になって叩いていた。そしてある日、自由にグループを組んで演奏を発表してください、という授業があったので、ドラム、ピアノ、リコーダーというおかしな編成でアウトランの「SPLASH WAVE」を演奏するグループを結成することに。

何度か練習して発表の日が来たけど、まあ結果を言ってしまえば、本番では途中で止まってしまってそのまま終了してしまいました。ピアノ担当の人が、練習は結構がんばってくれてはいたんだけど、もともとピアノを弾いてるわけではなかったので、ちょっとの練習で弾けるようになるはずもなく。残念な結果ではあったけど、人生初のゲームミュージックの演奏経験ということで、とても貴重な体験ができました。

ということで、音楽歴のお話(前編)はここまで。次回の音楽歴のお話(後編)へと続きます。それではまた!

(文・佐藤 豪)

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著者プロフィール

佐藤 豪
佐藤 豪サウンドクリエイター
ゲームサウンドクリエイター。気が付いたら24年この仕事やってます。作曲はもちろん、効果音が好きで効果音の研究に取り組んでいます。代表曲は『雷電II』『バイパーフェイズ1』『チョコットランド』など。

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