対戦格闘ゲームの一大ムーブメントを築いた珠玉の名作『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)。このコーナーでは、第一作目の発売から20年以上を経過した今も色あせることのない『ストII』の歴史を、さまざまな「ストIIプレイヤー」たちの視点から語ってもらう。今回はその前に、本稿が諸事情により1年ちょっとの期間をおいての連載再開となってしまったことを、関係者各位ならびに読者の皆様へお詫び申し上げたいと思います。

さて、第2回は「世界の永田」として名高いYOKOZUNA、S・本田の使い手である永田正月氏をゲストにお迎えした。今なお現役の第一線を張る氏の歴史をその目で確認していただきたい。

永田正月思い出の地、神保町某所にて。さすがの本田使い、その貫禄は十分!(※本人の意向により顔部分を伏せております)

永田正月思い出の地、神保町某所にて。さすがの本田使い、その貫禄は十分!(※ご本人の意向により顔部分を伏せております)

AOUショーで『ストII』の面白さを実感

FOOすけ(以下、「F」):それでは本日はよろしくお願いします。

正月(以下、正):……よろしくお願いします(笑)。

F:ではまずは定番と言いますか、永田さんが『ストII』を始めたきっかけから(笑)。

:きっかけはですねぇ~……AOUショーで見かけたんですよ。面白そうなゲームあるなぁと。

F:へ~! それはずいぶんとまた早い出会いですな。

:地元のゲーセンでチケットもらって行ったんですよね。それまでカプコンのゲームってもともと『ファイナルファイト』とかおもしろいやつがあったけど、今回すごい本気のゲームが出てきたぞと。見ればよくわかんないキャラがたくさんいるし、まともな人間みたいなやつがほとんどいないなって思いましたね(笑)。

F:まぁ……いないね(笑)。

:ショーでも1人用とかやらずに地元の人間と対戦とかやっていて。

F:あーそれで発売同時に初心者狩りを始めたと。

:やってないから! まだ当時はセオリーとか何もわからなくて……『ストI』の頃も対戦はしてたけど、それとは全然ちがって『ストII』は波動拳も竜巻も全然減らないし。

F::それはやっぱりみんな思うんだね(笑)。

:ちなみにこれ当時の写真ね(笑)。

F:……うおっ。すげぇなこれ!!

当時(18歳)の永田少年。のちの横綱である。

当時(18歳)の永田少年。のちの横綱である。

:まあそれはそれとして(笑)、AOUショーで『ストII』を見かけたときは「こいつはすごいゲームだぞ」って思ったわけですよ。それまでの対戦格闘なんてそんなにたいした物はなかったし、1人用メインみたいなところもありましたからね。で、地元のゲーセンに『ストII』が入荷したあとはみんなやっぱり遊んでいたと。1クレジットで対戦できるモードがあったんで、仲間うちでお金を出し合って対戦していましたね。

F:1クレ対戦モードかぁ、そんなのあったね。

最初はブランカ使いだった!?

:で、しばらくするとよく行っていた地元ゲーセンの隣にあったゲーセンが大会やるって話になって、ゲーメストにも広告出して……ってこれ清藤くんの話とリンクするんですけど、そしたら大会当日は朝から店に行列ができましてね。その行列が駅までつづいているっていう。

F:そんなにいたんだ!? いや確かに人があふれているっていうのは聞いていたし、自分もその後の大会であそこに行ったときは確かにすごい人だったけど、まさかそこまでとは。

:当初は、その後に行なわれた大会とは人数が比べ物になってなかったですね。「ナニコレ!?」って状態ですよ。駅まで100メートルもの行列ですからね……。全員が大会に出られるわけもなく、あふれた人は近くの店で対戦でもやりましょうかって話になって。で、そこで清藤くんと出会ってるんですね。彼はカンちがいしてましたけど、俺は当時、本田じゃなくてガイルを使ってて。

F:ああ、本田のタメじゃなくて、ガイルの空中タメを見て清藤くんは衝撃を受けていたってことなんだ?

:ですです。当時はジャンプ中にタメまでは作っていたんですけど、技にキャンセルがかかるってことを知らなかったので、ジャンプ攻撃→サマーソルトキックみたいな流れの連続技ぐらいが関の山でしたが。

F:いわゆる「のすけサマー(※)」か。
※のすけサマー……『ストII』の全盛期に活躍していたガイルのトッププレイヤーのひとり「のすけ」が使っていた連続攻撃。ジャンプ攻撃からサマーソルトキックを直接つなげる。

:むしろ、のすけがそれを見て使い始めて、のすけサマーになったんですけどね(笑)。

F:そういう流れですか(笑)。……っていうか、最初は本田じゃなかったんですね。ガイルスタートだったと。

:いや、正確にはブランカからのスタートでした。ブランカで1人用クリアして、つぎにガイルで1人用クリアして……って、結局全キャラで一通りクリアはしたんですけどね。そもそもあのゲーム、対戦だけじゃなくてCPU戦ですらおもしろかったじゃないですか。西谷さん(※)の天才的な調整って言うんですかね。それにカウンターダメージだったりとか、パーフェクトで点数効率がすごくよくなったりとか……ああいうところも楽しみつつ、いろいろなキャラクターで遊んでみようって気になりましたね。
※西谷……言わずと知れた創造神、西谷 亮(NIN)氏のこと。

F:なるほど~、わかるわかる。

初代『ストII』ならではの特殊ルールで実施された大会

:で、当時、池袋の「ラスベガス」っていうゲーセンがハイスコア集計していて。そこで店の集計ランキング1位を取るとテレホンカードがもらえたんですよね。今考えるとめっちゃアウトなんですが(笑)。それで片っ端から1位を取って、テレホンカード結構もらってました(笑)。

F:そんなことを(笑)。当時はいろいろ怪しかったな~。まぁそこがまたよかったんだけどね(笑)。

:当時、浪人の身分だったもので、予備校に行っていたわけですよ。最初に話したAOUにも浪人確定の身の分際で行っていたんですけど(笑)。で、その予備校の帰りに池袋に寄って1人用をやっていたと。

F:あ~話が見えてきた(笑)。ここにもまた『ストII』に魅入られた漢(おとこ)が……(笑)。

:とまあ、そんな生活をつづけているなかで「ラスベガス」が大会やりますよってことになって。で、事前エントリーしに行ったら、いるんですよ、いかにも「『ストII』やり込んでますよ」っていう集団が(笑)。「MK」とか「にのみぃ」とか「ふれいむ」氏とかね……。

F:!! えむけー! にのみぃ! ふれいむ氏! いましたね~(※)。思い出してきた(笑)!
※MK、にのみぃ、ふれいむ……新宿スポーツランド中央口店(通称:蟹スポ)をホームとしていた強豪たち。

:ほかにも、高田馬場の常連とか……当時、西東京を拠点にしている連中がバンバン集まってきてて。まぁ、自分もそれなりに強いっていう自負はありましたから、彼らに対戦してもらったわけですよ。そしたら、新宿の連中が「じゃあ、み~ら(※)行けよ」と言って、彼と対戦することになったんです。で、ヨガファイヤーハメを食らってあっけなく敗れてしまったという(笑)。
※み~ら……対戦初期の頃からのダルシム使い。扱いのむずかしさからか人気のなかったダルシムをひとり巧みに操り強豪を倒していた。

F:へー。み~らにハメ殺されたと。ガイルを使って?

:ガイルです。このとき「ずいぶんヤバいことする奴がいるな!」と思った。「こんな外見がノホホンとしてそうな奴に負けるとは……」ってショックでしたね(笑)。

F:ノホホン(笑)。わかるなぁ(笑)。

:でまぁ、後日の大会では、ブランカ使いの「みぴー(※)」とやることになって。その大会では、お互いの持ちキャラと、その後持ちキャラを入れ替えての対戦で、2勝したプレイヤーの勝ちになるんです。それで決着がつかなければリュウケン対決になるという。
※みぴー……常磐線沿線で活躍していたブランカ使い。

F:なんだそのルールは(笑)。

【俺IIメモリアル①(永田正月編)】

【俺IIメモリアル①(永田正月編)】 対談にも出てきた「池袋ラスベガス」の大会詳細。 『ストII』黎明期の貴重な資料だ。画像は永田正月氏 の所蔵品をお借りしたもの。

対談にも出てきた「池袋ラスベガス」の大会詳細。『ストII』黎明期の貴重な資料だ。画像は永田正月氏の所蔵品をお借りしたもの。※画像はクリックで大きくなります。

:俺とみぴーの場合、ガイルvsブランカ、ブランカvsガイルというカードですね。それで1-1だったんですが、そのあと3戦目にリュウケン対決をやらされて。で、お互いリュウケンなんて使ったことがほとんどない、よくわからない状況で戦って、負けちゃいましたね(笑)。

F:使ってないキャラで勝敗が決まるのは悲しいな(笑)。

:このルールだと、リュウケン使いが有利なんですよ。ていうか当時カンちがいしてませんでした? リュウケンが最強だって。

F:リュウケン最強? んーしゃがみ弱キック連打(※)とかは確かに強かったけど。
※しゃがみ弱キック連打……食らうと6発前後でピヨるというすさまじい技。そもそも『ストII』はピヨりやすいゲームだったが、そのなかでも投げ技との択一攻撃が迫れるしゃがみ弱キックは当時かなり恐れられた。

:そうそう。それに加えて、飛んできた相手には昇竜拳もあるし、それで強いんじゃね? みたいな風に思ってたことはありましたね。

F:なるほど。しかし当時「ラスベガス」には行ってたけど、その大会は覚えてないな~。

:何言ってるんですか、出てたでしょ(微怒)。

F:マジすか。もしかして、ブランカ使ってたみぴーが、当時の実況に「飛び道具ないキャラでどうするー」みたいなこと言われたとき、「飛び道具!」って言いながらローリングアタック使ってたあのときかな?

:それです。

F:おー思い出してきたゾ。永田さんすごい記憶力ですね。

:で、その大会後にお互い話すようになって。あのときは、みぴーほか柏の人間と、当時、十条にいたメンバー、あとは西荻の連中とかと情報交換して。当時スコアラーの人たちなんかがそういうつながりがありましたけど、その格闘ゲーム版というか。目の前で対戦した人と「今のすごいね、どうやるの?」とかそういう感じでいろいろ話したりしましたね。ちなみに、そのときの大会で優勝したのがGOT(※)くん。
※GOT……いち早くキャンセル技の存在に気づき、ひとりアッパー昇竜拳を使いこなしていたリュウの達人。

F:え! GOTくん優勝したんだ。

:そうです。その大会が1回目で……2回目も確かGOTくんが優勝していたと思います。

F:そうなんだ。それはすごい話だな……。永田さんは当時彼らとつながりはあったんだっけ?

:いや、ないっすよ。彼らはもともと東久留米キャロットを中心に活動していて、スコアラーのつながりがあったんですよね。で、速攻で基板を購入してみんなで遊ぶみたいなことをやってたと。ダンナ(※)もGOTくんの家に行ったんでしょ?
※ダンナ……FOOすけの別称。

F:1回だけ行ったことあるけど、そのときは全然ちがうことやってたなー。モニターになんかのマークがマジックで書いてあって「アレなに?」って聞いたらイメージファイトの安全地帯だったとか、あとはファミコンの『SDガンダムワールド ガチャポン戦士』で同ユニットが対戦マップに並べてあって、「これで対戦しましょうよ」とかそんなことをしてましたね。この人面白いことやるなと思った(笑)。

:彼はもともとゲーメストの『ファイナルファイト』ビデオのプレイヤーですね。

F:彼がアッパー昇竜拳を持ってきたのって、ゲーメストあたりが出どころなんですかね。

:ゲーメストからではないかも。自分でも『ファイナルファイト』の基板を持っていて、それを売り払って『ストII』を買い、家でやっていると言う話を聞きましたね。キャンセルについては、気づいていた人間は気づいてたんじゃないですかね?

F:あれは、かなり革新的な技だった。

:確かに。狙ってできるというのが驚きでしたね。2回目の大会のときに、跳び蹴りからしゃがみ弱キック連打でピヨらせて、つぎもまた同じことをやるんだろうと思ったら今度はアッパー昇竜拳を決めて「ヨッシャー!」とか言って。会場は騒然ですよね。

F:そういう意味で、「ラスベガス」は結構重要な歴史の転換点だったのかな。

:で、つぎの第2回大会は俺もいいとこまで行ったんですよ。ベスト4ぐらいかな。そのときはネタでザンギを仕込んでいて、当時はザンギで1人用をクリアできるかどうかというような時代に垂直ジャンプ小キックからスクリューとかやっていて。「なんだこれだけで勝てるじゃん、超強くないか?」って。実際は都合よくそんなになるわけないんですけど(笑)。

F:そのときはザンギでベスト4に行った?

:いや、いろいろ使ってました。「今回は何を使いますか?」と言われて「ザンギエフ」と答えたら周りが「うおーっ!」と盛り上がって。で、ザンギを使ったらいいように勝てて、つぎの相手は何を使うかわかっていたから、こっちはガイルでも使おうかな、と思っていたところに周りからザンギエフコールが起こって、強制的にザンギエフ状態(笑)。

F:ひどい(笑)。

:相手は「いいの~(笑)?」と、ガイルで中足振るだけ(笑)。「本当にいいの?」って言いながら……最低です(笑)。ちなみにこの当時、本田なんてカケラも使っていません。

地元店に人が訪れるように

:当時地元でも対戦対戦をやっていて、仲間内でいろいろ模索していましたね。「むかつくな、むかつくな~」と言いながら、お互いにむかつかせるような戦い方を研究して(笑)。もともと、当時のゲーセンの仲間ってスコアラーやってたりするヤツとか、当時だとノーターっていうんですかね? 石神井のゲーセンにはノートがあったんで、イラスト描くヤツとかでつるんでたりしていたっていうのもあって、人は多かったですね。

F:松やん(※)は……まさかのイラスト勢じゃないよね?
※松やん(松田)……「当時のリュウ」でガイルはもちろんダルシムすら倒すこともあったほどの対戦センスの持ち主。

:ちがいますね(笑)。松田さんの場合は……当時って情報伝達はクチコミがメインじゃないですか。で、「俺の知り合いにすごいうまいってやつがいるから永田くん対戦してやって」みたいな感じで紹介されて。で、対戦して「オメーツエーなー!」みたいな感じになってという経緯ですね。

F:スタンダードな知り合いかただ。

:当時って結構複雑で、あの辺の人たちって、黎明期のパソコン通信をやってた人が多いんですよ。ニフティとかもあったけど、もっと草の根ネット的なものですね。で、当時「ネットに出ていたからホントだよ!」的なノリってあって「どこそこの誰々が強い」っていう話とか、スコアラー情報とかでも「こういうふうにやれば永パになる」とかそういうことを話し合っている連中がいたんですよ。俺はパソコン通信やってなかったから、彼らから話を聞いているだけなんですけど、ネットで「ロケやってるよ」とかそういう情報を聞けば行ったりして。

F:なるほど。

:ネットで「どこの駅のこのゲーセンに死ぬほど強いザンギエフがいて、ダルシムの伸ばした手足をスクリューで吸い込む」みたいな情報があって「そんな奴いるわけねぇだろ(笑)!」とか。まぁそういう感じでネットがらみで話を聞いて「永田くんちょっとこいつと対戦してよ」みないなノリで対戦することが多かったですね。浪人生という立場で遊びまわってましたから。で、そのときに崎元さんとかも紹介されたりとか。

F:あー、ベイシスケイプの崎元さんね!? あの人とは馬場に松やんが崎元さんを連れてきたときに1回だけ話したことある(←ファン)! 今思えば貴重な体験だ(笑)。

:崎元さんも来てましたし、崎元さんと一緒に来ていた川口さん(ゲーム開発関係者)などとも対戦していました。ある日車で連れられて、古代さん(古代祐三氏)の事務所で対戦したりとかもありました。まぁこの話は『ダッシュ』から『ターボ』になるあたりでしたけど。

F:すげーレアすぎる(←古代ファンでもある)!

:そんなこんなで、誰と対戦しよう、誰と対戦しようみたいなことが結構多かったんですよ。地元とか池袋でやったりとか、ほかのいろんなヤツらから情報聞いたりとか。あとは、石神井で大会やったあと、沿線の人間が途中で止まって遊びにくるパターンが多くなって、面白いヤツラがくるようになるわけですよ。新所沢に住んでいた校長(※)とかね。
※校長……『ダッシュ』全国大会でベスト8に残ったザンギエフ使い。あのポニー田村に比肩する実力を持つ。

F:出た校長(笑)。

:大会の宣伝効果はかなりのもので、いろんな人間が入れ替わり立ち代わりやってきてくれて、馴染みのない地域に住んでる人なんかも来るようになりましたね。

F:広告効果によって石神井は恵まれた環境になったと。

:あの店長自体がもともと広告をすごく重視していた人で、当時はステ看板とかで「来ればサービスします」とか「メダルプレゼント」みたいなことやったりとか、ゲーセンを開いた当初からいろいろやってたんですよね。で、ゲーメストに広告打ったあとは人があふれかえって、いろいろな人が来るようになったと。地元の人間としてはすごくいい対戦環境だった。1プレイ100円でしたけど。

F:100円だったんだ。

:ずっと100円でやってました。高いですよ。でも大会やると人が来てみんな対戦をしていくから、あのサイクルが美味しくて何度も何度も大会を開いてましたね。大会参加費無料で参加賞としてジュースまで配っていましたが、それ以上に客がお金を落としていきましたからね。都内や埼玉からの客が多くてすごかったですよ。

F:しかしここまで話してまだ歴史の入り口か……。すごいなこれ(笑)。

【俺IIメモリアル②(永田正月編)】

当時の大会のチラシ。すごいのは、リュウケンオンリー戦でも 大会が成立していたり、参加者数の上限が設定されているところ。 全盛期のプレイヤー人口の多さがうかがえる。

当時の大会のチラシ。すごいのは、リュウケンオンリー戦でも
大会が成立していたり、参加者数の上限が設定されているところ。全盛期のプレイヤー人口の多さがうかがえる。※画像はクリックで大きくなります。

ネタの宝庫「永田正月」

:でまあ、石神井でやってはいたんですが、実際に予備校とかあるのが神保町とか水道橋のあたりだったから、そっちまで出て行くんだけど、正直、新宿や高田馬場とかそれ以外の情報、連絡を取り合っている連中とくらべると、そこら辺の学生街の連中なんて相当弱いわけですよ。

F:まぁ……そうなりますかね。

:で、地元に高校のときの同級生で神田って奴がいたんだけど、そいつが「タロー」とかへ行ったら「伝説のザンギエフ使い」みたいなことになってて……とにかく金は持ってないんですけど、ザンギで1日100円だけプレイするみたいな。でも30連勝ぐらいはするっていう。そいつも予備校生やっていて、「おい神田なにやってんだよ」って言ったら「永田お前絶対入ってくんなよ!」とか言って。「この50円でずっと遊んでられるんだから!」って(笑)。

F:確かに石神井とはレベルが全然ちがったんだろうな。当時は情報格差がひどかったということもあったんでしょうね。

:情報だけでも相当なものでした。「P&P」っていうゲーセンで「永田くん、すごくいい気になっている奴がいるから対戦してあげてよ」って言われて、相当フルボッコにしたりとかありましたね。対戦する前は「ん? キミが俺と対戦したいのかね(笑)?」みたいな感じだったんですけど。それがたまプラ(※)って奴だったんですが(笑)。
※たまプラ……正式名称「たまプラーザ」。たまプラーザ出身のガイル使い。ガイルでソニックブームを撃つふりをしてしゃがみ強P(リフトアッパー)を出し、つられて飛んできた相手をサマーソルトキックで迎撃する技「たまプラ」の使い手。

F:たまプラきたー(笑)。

:「俺、たまプラーザの大会で準優勝したんだぜ!」みたいなこと言ってて(笑)。

F:「たまプラ」って本人が名乗ってたんだっけ!?

:いや、周りがそう呼んでいたってだけですね。本名は別にちゃんとありました(笑)。でまぁ、たまプラをボコボコにしたあとは「師匠と呼ばせてください!」みたいなベタな展開になって……というようなことも結構あったんですよ(笑)。

F:漫画みたいだな(笑)。

:でまぁ、そのあと「タロー」の常連って「ビッキーズ」に移ったんですけど、当時はちょっと遊びにいくだけで「おい、永田が来たぞ」みたいな感じでざわついたりしてましたね。

F:永田さんの当時の立ち位置って「最強プレイヤー」みたいな感じなんですか?

:なんていうんですかね、よくわからないことをやって新しい情報を置いていくヤツ、みたいな扱いだった感じですかね。

F:ネタの宝庫みたいな感じ?

:そうですね。まぁそのネタ自体、ほかの連中から話を聞いて使ったりとかしてるんですけどね(笑)。

F:まだこの頃は俺との接点はなかった感じですよね。

:そうですね。ダンナと知り合ったのは、石神井で団体戦とかやり出すようになってからですか。それからは馬場キャロットにも行くようになりましたね。

F:俺のなかでも永田さんは石神井っていうイメージだからな~。

:でまぁ、話は戻るんですが、神保町交差点脇のところにテクモのゲーセンがあって、そこでやってたら「対戦入っていいかい?」って変なオヤジに言われて、どうぞどうぞってやり始めたんですけど、そのオヤジが結構強いんですよ。お互いガイルを使えば勝てるみたいな感じで。それが柏さん(※)っていう人だったんですけど。「俺ここの店長なんだよ」って、店長が入ってくんなよって思いましたけど(笑)。
※柏……本八幡の強豪プレイヤー。真空投げの情報をゲーメスト編集部からいち早く仕入れ、一部では真空投げ親父と呼ばれていた。

F:柏さん……これまた懐かしい。

:でまぁ柏さんに「どっか面白いゲーセンあるの」って聞かれて「下井草のヒノーズってゲーセンがいいですよ」って言ったら、そのあと、あの人は「ヒノーズ」どっぷりになっちゃって(笑)。……とまぁそんな感じで、自分はいろんな情報を見つけては適当に遊んで、「アイツスゲーな」って言われるような感じの人間になっていたという感じですね。

2秒でつかんでおしまいですよ

F:で、ここまでの流れでまだ本田は出てこない?

:まだ出てきませんね(笑)。メインはガイルとかザンギとかでしたけど、一応何でも使う、みたいな感じでした。ちなみにこの頃はまだ対面の対戦台ではなくて、横並び時代でしたね。「ラスベガス」の大会に出て顔を覚えられるようになって、「キミ対戦しないの」って話しかけられたりして。

F:だいぶ有名人だ。

:結構大会をやるようになっておけやんとかが来はじめた頃になると、もう結構「ダルシムとガイルが強すぎるだろう」って話になってて。春麗とガイルとダルシムの3すくみ……というよりは、ガイルとダルシム、とりわけダルシムが強い。こいつが最強じゃないかと。

F:ダルシムを相手にしている側の攻め手がかなり限定されてたもんね。

:まあ春麗がガイルに勝てるという展開がまずなかったけれど、春麗は遠立ち中P連打でダルシムを一方的に固められるという強みがあった。ただし相打ち覚悟のヨガファイヤーを食らうと、逆にハメ殺されるっていうこともありましたが。

F:あれ? 春麗の遠立ち中P連打(※)って強制ガードが成立しませんでしたっけ?
※春麗の遠立ち中P連打……いったんガードすると以後はレバーから手を離していても連続ガードになるが、強制ガードではない。

:そうでしたっけ?

F:いやあ、ネタかどうかは忘れたけど、昔、ハマさん(※)がダルシムで春麗と戦っているときに立ち中Pで固められはじめたから、コーヒー買いに行って戻ってきたらまだ固められていて「アイツまだやってんのかよ」と言ったとか……っていう話があったんだよね(笑)。
※ハマ……通称ハマー。『ダッシュ』全国大会準優勝のダルシム使い。ヨガ・ストライクバッカーズの至宝。

:遠立ち中P連打は『ハイパー』とかでやると超面白いですよ(笑)。

F:できるんだ(笑)。

:あとは、当時は起き上がりのリバーサル技や投げみたいなものがほとんどないような感じだったから……地元にダルオっていうヤツがいたんですけど、春麗と戦うときは「2秒でつかんでおしまいですよ」とか言いながらやってましたね。

F:あれ? それ、のすけのセリフじゃなかったんだ?

:いや、それはダルオです。周りに強豪ばかりいたなかで、そいつはすごいオドオドしたガキだったんですが、そんなヤツがそのときだけいい気になって言っているのが面白くて、セリフをみんなで使っていたんです(笑)。スライディングからせっかんやって、そのあと近距離立ち中Pからまたせっかん。あれ相当強い(※)ですよね。
※あれ相当強い……初代『ストII』には着地リバーサルがなかったので、安易に技を重ねられたことから。

F:強かったね~(笑)。今思うとほんとわけのわからん強さ(笑)。

:近距離立ち中Pはハメるためにある技っていう印象しかなかったですね(笑)。あのコンビネーションだけで画面端まで持って行って、最後はヨガファイヤーハメとかでトドメっていう(笑)。

F:最低です(笑)! ほかになんにもいらなかったもんね。起き上がりに近距離立ち中P重ねられればそれでおしまい。

:春麗vsダルシムはどっちがハメきれるかの勝負みたいなところがあってなかなか面白かったですね(笑)。

勝ちだけにこだわらない対戦を

:石神井で団体戦やるようになる頃には、最初はリュウとかケンを使っていたはずのダンナがダルシムを使うようになってましたよね……(冷)。

F:そうそう……。確か当時リュウで活路が見いだせなくなってて、どうするかなーって悩んでいたんだよね。で、み~らに「それならダルシムがいいよ!」って教えてもらって、そこから使い始めた。

:エグいっすよね。相当エグいっすよあのキャラ……ホントに……。当初はダルシムを使っている奴がいなくて、まぁネタキャラだろうって思っていたけど、まさかこんなに強いキャラだとは思わなかった(笑)。

F:そうだよねー。だってリュウvsケンとかはすごい苦戦して勝ったり負けたりしていたのに、リュウケンなんてダルシムだったら立ち中パンチと立ち中キック出してればとりあえず何とかなっちゃうから(笑)。

:対ガイルですらそうっていうのがね。

F:俺が永田さんと知り合ったときはすでにダルシムだったっけ?

:もともとうるさいリュウ使いだなっていう認識はあったんですけどね(笑)。その頃、松田さんが「馬場強ぇらしいぞ!」って馬場に行って、そこでダンナとかと対戦して「FOOすけっていう奴のダルシムが超ツエー、ガイルじゃ勝てねぇんだよ! リュウでやっても話になんねえしよ……」とか言ってて。

F:その頃から俺はダルシムを使っていたということか。その話は俺も何となくだけど覚えていて、確か松やんと一緒に来ていた崎元さんに「キミ、あいつを倒しまくるなんてすごいね」みたいなこと言われたんだった。まぁダルシムですからね……。

:どう考えてもダルシム強いでしょ……。地上戦もそうだけど対空もかなりしっかりしていて、ひどいキャラだなこれっていう感じだった(笑)。

F:確かに(笑)。

:で、団体戦の話に戻るんですが、そのあと個人戦もやるぞっていう話になって……さっきの写真がそうなんですけど。本田はそのあたりから本格的に使い始めたんですよね。その頃にみ~らと「あんまり勝ちにこだわっていてもつまんないよね」的な話をしてたんですよ。

F:み~らもそういうタイプだったもんね。

:ですね。で、俺もガイル使うのはもういいかな、ってなって。

F:なるほど、対戦の美学みたいなものを求め始めたと。

:そうそう。本田は結構面白かったし。そもそも本田ってキャラは地元で使っている秋場さん(※)って人と、あとはおけやんのよつやさん(※)ぐらいしか使っていないし、そもそもキャラクターを使いきってなかった感じもあって。で、これ、ちゃんと使えば結構いけるんじゃないの? みたいな感じで使ったのはよかったんですが、大会でそのよつやさんと当たっちゃって……。
※秋場……石神井のゲームセンター「スペースファンタジー」の本田使い。当時の石神井の大会で司会進行(今で言う実況)を担当していた。
※よつや……桶川の対戦集団「おけやん」の一員で本田使い。対戦黎明期にさまざまな本田の技を編み出した本田使いのパイオニア。

F:いきなりの同キャラ持ちで対戦不可能状態(笑)。

:で、仕方ないからとりあえずガイル使うか~って、ソバット対空とか空中投げしまくりとか……そりゃひどい勝ち方ですよ、言ってみりゃ。で、そこでのすけに「永田さんだって困ったらガイルじゃないですか(笑)」みたいに言われて。それで「わかったよ、このあと本田ひと筋で行くよ!」って感じのやりとりがありましたね(笑)。

F:のすけの一言が、のちの「世界の永田正月」を生み出したということか(笑)? これでようやく本田編に突入するわけですね。

:ホントようやくですよ……。

それにしても、驚くべきは永田正月氏の記憶力と言うところだろうか。これだけでも、当時の歴史をかなり読み取ることができる。対談は以降もつづくが、ここまでで全対談の3分の1と先は長いため、つづきは次回・中編にてご紹介させていただきたい。

(中編につづく)

このエントリーをはてなブックマークに追加

著者プロフィール

FOOすけ
7つのペンネームを使い分け(本当は3つくらい)、さまざまな媒体で執筆活動を行なっている覆面ライター。でも隠しているわけでもないので、聞かれればお答えします、とは本人の弁。